blog 「前提はフラットに肯定形で。」

「LGBT当事者の話を聞きたい。」新聞、雑誌、テレビなどのメディアの方とお話しする時、こう依頼されることがあります。そして最近は、渋谷の条例案のニュースもあり、私の周辺でも「当事者を紹介してくれと言われた」「メディアで話せるかと聞かれた」という声が増えています。

そんな時に思うのは、取材する側にLGBTの家族や知り合いはいないのかな、いるのかな、です。周辺にいるならそっちに聞けよ、という意味ではなく、対象に興味があるから取材をするのでしょうから、自分の周りには存在しないという前提で話をしている印象を受けるとき、やや違和感を感じるのです。

セクシャルマイノリティは20人に1人の割合という統計もあるそうで、会社や地域、家族、友人の中にLGBTがいないはずはありません(やや強気)。

特に”大きな会社”に勤めている人が「うちの会社にはいないんじゃないかな。」と言うのを聞くと、「それは”いない”のではなく、”見えない”だけなのでは?」と思い、そして「もし”いる”のに存在が”見えない”としたら、その理由は当事者が”言わない”のではなく、”言えない”からなのではないでしょうか。

実際、あるメディアの方に「御社にも当事者はいますよね」と言ってみたところ、「え、うちに知り合いがいるのですか。」と言われました。そうではなく、多くの人数がいる場にはいろいろな人がいて当たり前ですよね、そしてその中にはLGBTもいて当たり前だと思ってみてはいかがでしょうか、と言う意味合いで言ってみたのですが。

当事者が当事者であることを会社で言えない理由は、揶揄されたくないから、差別されたくないからであり、ここでは言わないほうがいいという判断の結果だと思います。この人には言っても大丈夫と信頼されるのか、されないのか。これはもちろん当事者間でも同じ事です。

『こんな”LGBTと呼ばれる人たち”がいるのをご存知ですか』という壁の外から中をみての報道ではなく、『私たちの周りにいるLGBT』という報道に変化していったらいいなと思います。と思っていたら、先日発売された光文社の女性自身3月10日号は『あなたの周りにもきっといるから もっときちんと知らなくちゃ』という特集を組んでいました。とてもわかりやすくマジメで充実した内容。女性週刊誌がこんな特集を組むなんて、と話題にもなりました。

会社にも、学校にも、商店街にも警察にもスポーツ選手にも先生にも教授にも役所にも、もちろん政治家にもマイノリティは存在します。

否定の前提でいると、自ずと視野が狭くなる。”タブロイド週刊誌”の「女性自身」がそんなマジメな記事を?と思ったこともそうですね。ちょっと反省、そして前進。

追記:
女性自身の記事はgossip店内のスクラップブックに保存してありますので、ぜひ一読を。