【コラム】 映画レビュー 「彼らが本気で編むときは、」

2月25日公開の映画「彼らが本気で編むときは、」を鑑賞しました。 荻上直子監督の5年ぶりの作品です。 数年間のアメリカ生活で経験したセクシュアル・マイノリティとの日常的な関わり合いが、日本に戻ってきたら、ぐっと減ってしまったことに驚いた、と語る荻上監督が今回撮った作品は、”流行りのLGBT” を安易に題材にした映画では決してなく、子どもも、おとなも、「好きなその人」のことを考えると胸のあたりがキュウとなるときや、「愛したその人」が別の性で生まれていたことを知ったときに感じる、「その人」のことを大切に思う気持ちを、自分自身がどう扱うのか、をとても自然に、ウイットに富んだセリフを用いて表現した映画です。

「カタチなんて、あとからあわせればいい」というコピーは、主人公のリンコとマキオの周りにいつも流れている、おだやかな空気にぴったりで、「セクシュアル・マイノリティの女性を物語に取り込んだ、爽やかで心地よい極上のエンタテイメント」(チラシより)というコピーはまんざらおおげさでもありませんでした。

ストーリーは、「優しさに満ちたトランスジェンダーの女性りんこと、彼女の心の美しさに惹かれ、すべてを受け入れる恋人のマキオ。そんなカップルの前に現れた、愛を知らない孤独な少女トモ。桜の季節に出会った3人が、それぞれの幸せを見つけるまでの心温まる60日。」

私が今回着目したいのは主人公をとりまく三人の親たちの「自分自身」です。

田中美佐子さん演じる、りんこの母親は、りんこが子どものときから一貫してりんこを理解し、心の底からりんこを愛する人。それは決して「親だから分かってあげなくちゃ、分かってあげるのが当たり前」というような気持ちではなく、きっと無償の愛とはこんな表現になるのだろうなと思える親像。セクシュアリティ関係なく、こんな親やオトナが近くにいたらいいなと思える、きびしく明るくたくましく、自分自身の人生も進んで楽しんでいる人。

ミムラさん演じる、トモの母親は、刹那的に自分自身の気持ちがまず一番という行動をとってしまう人。トモを家に一人置いて、自分は男を追いかけ家を出ていき、いつか捨てられ戻ってくることを繰り返している。弟のマキオやまだ小学生のトモに甘えっぱなしで、施設に入っている母親との関係もざらざらしている。親ではあるがまだ子でもある自分自身と向きあうきっかけがやっと訪れる。

小池栄子さん演じる、カイの母親は、りんこの存在にも、カイが抱く一つ年上の男子への恋心にも、まったく歩み寄ることをせずにシャットアウトする人。「普通ってなに?」と問うカイに「普通は普通。異常ではないこと。」と言い切り、カイが密かに書いた恋文をやぶって捨てる。トモのために、カイのためにと「正義」を振りかざすけれど、本当は自分自身のためでしかないことに気づかされる事件が何度か起きる。

奇しくもこの3人の親は皆母親で、子どもたちの父親の姿は描かれません。でもこの映画は「母と子の話」ではなく、「親子の話」ですらなく、みんなが誰かを好きで、すごく好きで「愛に溢れた日常の話」だと感じました。「カタチなんて、あとからあわせればいい」という言葉は、鑑賞前と鑑賞後では少し違った意味に感じられるような気がします。

だれでも、「その時は今しかない」と思い望むことはあるけれど、必ずしも「今」はその時ではないこともある。今がその時ではないことを受け入れざるを得ないとき、「もうだめだ、すべてがおしまいだ」と絶望しては本当にそれは終わってしまう。
どんな時でも静かに流れ続ける時間は、いつでもだれにでも平等に流れている。その時間をあなたはどう過ごしますか、と問うようなエンディングは、ほんの少し涙はでたけれど、愛と希望と温かさがある終わり方でした。

今まで見た映画の中でも、心に残る映画のひとつになりました。機会あればぜひ見てみてください。
タキタリエ

公式サイト「彼らが本気で編むときは、」http://kareamu.com/