【コラム2号】「法話でLGBT」

web gossip 新聞 第2号~2016年11月配信

「法話でLGBT」

お寺で法話を聞く機会がありました。 お寺や神社は、用もなく立ち寄るのも、観光で目指して行くのも楽しい場所です。 お坊さんの話をライブで聞ける機会は法事以外ではあまりないので、これはラッキーと参加を決めました。

時間ぎりぎりに着いた会場は、宴会場のような畳の間で、掛け軸の横にはホワイトボード、年配の方たちを中心に40名ほどが集っていました。 お坊さんのお話しは「幸せになること」を軸に、政治や南果歩さんの闘病についても触れ、そして中盤、おもむろにペンを取ったお坊さんがホワイトボードに最初に書いたその文字は、『LGBT』 でした。 なぜ。

お経には、「人は一人では幸せになれない。他の人たちも幸せにならねば、自分も幸せにはなれない」 とあるそうです。 「手を合わせることで、お釈迦さまと自分の命、そして先祖や子どもたちの命が結びつく。 たとえ一人暮らしでも、たとえ家族がいなくても、大きな流れの中に自分の命があるということを実感するときに、人は生きている幸せを実感する」 なるほどー。

LGBTのTである、トランスジェンダーの方が亡くなったとき、戒名を本来の性別でつけてもらいたい、つけてあげたい、という要望があるそうです。 例えば、戸籍に記載されている男性名で生きてきたけれど、亡くなって戒名をつける際には、本来のその方の性である、女性名の戒名をつけたいので対応して欲しいと。

考えてみれば、そのような要望はLGBTという言葉以前からずっと存在していたはずですが、2016年という今、お寺側の知識や認識も変わり、LGBTという言葉も知られ使われるようになり、ついに偶然ふらりと聞いた法話で、LGBTを紹介する場面に遭遇するという時代になったのだなーと実感。そして感無量。

寺へのリクエストは、多くの場合、周囲の人が本人の希望をお寺にきちんと伝えているということも、「人は一人では幸せになれない」ことに繋がるのでしょうね。「寺にリクエストしてくれる人がいて、亡くなったその人は幸せだね」 ではなく、送る側が(も)「他の人が幸せにならなくては、自分も幸せにはなれない」のですから。

では、次回もお楽しみに。
タキタリエ