【コラム21】「『分人』と安心」/ 「individual is in-dividual」 | web gossip

【コラム21】「『分人』と安心」/ 「individual is in-dividual」

gossip ニュースレター vol.21/2014 6月配信

「『分人』と安心」

平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』を読みました。

著者のブログからどんな物語かを引用すると、『世界中で、死んだ人間が突如として生き返り始める、という物語です。静かに、ふと、もう二度と会えないはずの人たちが戻ってきます。主人公も「復生者」と呼ばれるその一人なのですが、他の人たちとは違って、彼の「復生」は、なぜか周囲に喜ばれません。そもそも、本人は、自分が死んでいたという自覚もなく、死んだ時の記憶もありません。一体、何があったのか?』です。

この小説には、『分人』という考えが描かれています。今回のコラムでは、小説の感想文ではなく、この『分人』について書いてみます。

まず、『分人』とはなんぞや、です。『個人』の下にある “階層” のようなものでしょうか。『個人』の英訳は Individual = 分けられない、ゆえに『個人』は最小単位の扱いでしたが、『分人』は dividual = 分けられる、と考え、『個人』は複数の『分人』で構成されるそうです。なるほど。そしてもう一つポイントなのは、『キャラを演じる』こと(作っている自分像/表面的)と、『分人』は、別のことである、という点です。

例えば、親といるときは自分A、兄弟姉妹といるときは自分B、家族みんなが揃ったら自分C。と、家の中だけでも複数の自分がいて、かつ、社会においても場面場面にそれぞれの自分がいるのです。私がこの『分人』という言葉に、なるほど!と魅了されたのは、私自身が学生の頃から、特に会社勤めを始めたころに、いろいろな事に慣れず、でも受け入れなくては毎日が進まなかった日を『仮面会社員の生活』(会社員仮面、ではない)と密かに名付けて、サバイバルをしていたからです。

とはいえ、会社では上司や先輩に期待されているキャラを演じ、友人達とは楽しく過ごすために別のキャラを『不本意ながら演じていた』訳ではありません。やらされていたのではなく、自分の中にある『その場に適切な分人』を自分で選択していたのです。ですからそこに葛藤や違和感はまったくありませんでした。

もし、『個人』という考えしか持てていなかったら、私の性格はきっと「雨のち曇り、後に晴れるが夕方遅くに突風と雷雨の可能性があるので注意が必要。夜はぐっと冷え込みますが、きれいな満月と星空を楽しめるでしょう」のようなことになると思います。我ながらうっとうしいですね!

『分人』という考え、まだまだ完璧理解をしたとは言えませんが、ものごとを楽に考えるいいツールにもなり得ると思い、今回ご紹介しました。興味があれば、ぜひ平野啓一郎さんの本を読んでみてください。

最後に新書の『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 から一行引用します。

『たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。』

では、次回もお楽しみに。

<参考資料1>

平野啓一郎さんは、「分人主義三部(四部)作」として、この本以外にも「分人」を扱った小説を書いていて、加えて講談社現代新書から『私とは何か ~ 「個人」から「分人」へ』という本も出しています。『空白を満たしなさい』は、分人主義四部作の第四作目になります。

このコラムは、私の分人論ですので、ご興味ある方はぜひ平野啓一郎さんの著書を読んでみてください。
タキタリエ

<参考資料2>

『空白を満たしなさい』、刊行! – 平野啓一郎 公式ブログ http://keiichirohirano.hatenablog.com/entry/2012/11/27/235028

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 平野啓一郎 講談社 http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881721

『空白を満たしなさい』 平野啓一郎 講談社 http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2180324

– English –

「individual is in-dividual」

I read a novel by Keiichiro Hirano “kuuhaku wo mitashi nasai” (fill in the blank) .

The story is about a guy in 30’s with a job and family, who suddenly committed suicide in the company. After few years later he came back to this real world as a real himself, without remembering what exactly happened when he died, and people around him apparently do not welcome his return, even his wife…

This novel is not a mystery to find out what happened. It is more like a human drama around him and the meaning of a life to live.
In this column, i want to talk about a new word with a new way of thinking called “bun-jin” that i learned from this novel.

As you may know, the word “kojin” is “individual” which can not be separated or divided into some pieces, because it is supposed to be the smallest unit.

Compared to this word, the word “bun-jin” is “dividual”, which indicates “several personality (each one is real, not a fake) in one individual.” So “kojin” is consist of several “bun-jin”.

When i think i have several “bun-jin” inside me, rather than trying to have “One concrete solid myself” who does not change and who is always true me, it feels much easier to accept that each “bun-jin” may have very different faces but they are all true.

I had (have?) been acting like this, acting (probably) very differently scene by scene, people by people, especially when i was at school or at work in companies, where i wanted not to show some parts of myself to them.

If i believed there has to be “only one me”, and that “me” has to act exactly the same in any situation, i would have acted something like “cloudy with rain, occasionally sunny with small chance of thunder storm later of the day but clear sky with full moon before the dawn.” Very complicated and “ALL-IN”.

I felt there must be someone who would feel the same as myself, who can feel better with the idea of “bun-jin”, as the author Hirano also writes in other book saying “It does not exist the only one true-self. Every single face you show on each relationship are all true-self.

Thank you for reading.
Rie Takita

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